ご挨拶

 初めまして、神奈川県で弁護士をしている井上和也です。

 生まれも育ちも神奈川県海老名市です。

 海老名市というのは、同じ神奈川県でも、横浜や川崎まで都会的ではなく、他方で自然が多すぎるというわけでもない、自然と都会が共存するのどかな地域です。
 このような海老名で生まれ育ったことで、自分の、せかせかしないおおらかな性格が形成されたと思います。

 父はサラリーマンで、母は専業主婦の、ありふれた、ごくごく普通一般的なの家庭で育ちました。

 幼少期の頃に楽しかった思い出は、近くに住んでいたお姉さんの影響で始めたそろばんです。
 当初は、お姉さんと遊びたくて通っていましたが、そのうちどんどんできるようになることで、できないことができるようになることがとても楽しくて、最終的に珠算5段、暗算5段まで獲得してしまいました。

 弁護士の仕事をしていると、たとえば調停などで、その場で計算する機会などがありますが、そういった際には暗算の能力を発揮して、早く計算することで調停を優位に進めることなどができています。

 ここまでそろばんをやらせてくれた両親や、そろばんの楽しさを教えてくれた先生には本当に感謝しています。

 小学校の頃は、学校自体が楽しかったというわけではありませんでしたが、授業で先生が話すことはとてもおもしろかったので、授業を真剣に聞いていました。

 先生が話すことは、教科書のことや、教科書のことではない多岐にわたっていて、先生って物知りなんだなぁ、と感動していました。特に、小学校高学年のころは、正義感は強いけれども、力がない、そんな小学生だったと思います。
 当時は運動も苦手で、体育で目立つことはできない反面、学校の授業は楽しくて、先生の話を聞いてテストでいい点数を取るのが、比較的得意だったと思います。しかし、勉強ができるというだけで、非常に生意気な小学生でしたから、同級生からしたら、「いじわるして困らせたい奴」だと思われていたように思いますし、事実そのような目にも多くあいました。
 この経験を経て、声を上げる主張の強さだけで、物事が進んでいってしまうことへの不条理さに疑問を抱くようになりました。

 また、嫌な思いをしたのに声を上げられないことへの無力感を感じたのだと思います。この頃から、力の強さだけではなく、公平に法の下で裁くということを国家資格として許された、法律家を目指したいと考えるようになりました。

 中学校では逆に、バスケットボールに興味を持ち、バスケ部に入部しました。

 中学校ではバスケ部がとても強い部活で、全国大会にも出場しました。私はスタメンではありませんでしたが、チーム一丸となり、皆で勝利を目指すことを学びました。
 また、チームメイトと共に流した汗はよい思い出ですし、今でも遊びに行ったり、一緒にバスケをしたりしています。
 最近、出身の中学校で講演をさせていただく機会があったのですが、中学生から「勉強はどのくらいしていたのか?」という質問がありました。
 私は、「授業はよく聞いていたけれども、部活動が忙しすぎて、家に帰ってからの勉強はほとんどせず、塾に通っていたくらいでした」と答えました。その上で、今思うと、中学校では、勉強だけではなく、クラスの物事を解決したり、友達と遊ぶプランを練ったり、部活でかつ戦略を練るなど、全ての経験が、弁護士という仕事に役立ちます、とお話ししました。
 実際、弁護士という仕事は、人と人との間の調整や、悩み事を解決する仕事ですので、人とのふれあいなくしてできるものではなく、そういった意味では、学生時代にいろんな経験をすることが、すべて自分の弁護士としての糧になっているな、と感じます。

 高校は部活を両立しながらの勉強の末、慶応義塾高等学校に進学しました。
 いざ入ってみると、本当に楽しい高校でした。まず、会話が本当に楽しかったです。

 どんな言葉にも返してくれる人がたくさんいましたし、人を傷つけたりする人が少ない学校でしたので、こんなに楽しい高校はないだろうな、と今でも思います。もし人生をもう一度やり直したとしても同じ高校に入りたい、そのくらい楽しい高校生活でした。
 高校では、「法学部法律学科に入るぞ」という明確な目標がありましたので、学校のテストは、成績がきちんととれるよう努力しました。部活は大好きな野球に触れたいと思い、軟式野球部に所属。(純粋に、バスケよりもスタメンになれる人数が多いから、というちょっとずるい理由もありますが。。。)

 バスケと同様、団体競技の中で、球技の楽しさだけではなく、人間関係での悩みの解決方法や、コミュニケーションの大切さを学んでいったように思います。

 その後、無事、慶応義塾大学の法学部法律学科に進学し、司法試験を目指すこととなりました。
よく、司法試験は1日何十時間も勉強するんだよね?と聞かれることがありますが、実際は、人によって勉強をする時間はまちまちです。

 私自身も、毎日何十時間も勉強できるような性格ではなかったので、すごく勉強できる日もあれば、他方で全然勉強せずに、好きな漫画やアニメを見てしまって一日が終わっている、という日もありました。

 また、大学後に法科大学院に進学しましたが、法科大学院では、好きな野球やバスケを友達としたりしていました。本当に楽しい2年間を過ごしました。

 その後、司法試験に無事合格し、司法修習を経て、いざ、他県で弁護士としてスタートすることになりましたが、弁護士1年目で、大きな挫折を経験しました。

 自身の未熟さや、弁護士という仕事の重責から、なかなか精神状態が思うようにうまくいかない日々が続き、結果的に、上司に本当にたくさん迷惑をかけてしまいました。
 精神的に追い詰められ、「自身に弁護士は向いていないのか」と自問自答する日々が続きましたし、今でも思い出すと吐き気がするほどでした。
 ただ、そんなとき私を支えてくれたのが、家族や友人など、周りの人達でした。

 今思えば周りにも本当に失礼なことばかりしてしまいましたが、最後まで私のことを思ってくださいましたし、手を差し伸べてくれる人がたくさんいました。

 私自身、周りの人達に本当に恵まれていたな、と思いますし、それと同時に、弁護士として、本当につらい思いをしている人に寄り添ってあげたい、という初心に、立ち返ることができたように思います。

 その後、私を拾っていただいたのが、港国際法律事務所湘南平塚事務所でした。

 師と仰ぐ先生のもとで3年間働かせてもらい、依頼者に寄り添うとは何なのか、弁護士とは何なのか、どこを目指すべきなのかについて、明確な目標を持つことができました。

 また、私自身、地元とのつながりという意味で、青年会議所にも入らせていただき、理事長までやらせていただきました。

 青年会議所では、海老名市という地域を明るい豊かな社会にするために活動をしていました。

 私が理事長の時に、青少年事業で、海老名で初めての親子参加型e-sportsの大会を実施したり、10月に行われるえびフェスというお祭りで、花火を上げたりしました。

 花火は、コロナ禍にあって外に出にくい方でも見られるよう、海老名市の各小中学校から上げました。市民の方々にも喜んでもらい、私自身も、出身である海老名に恩返しができたかなと思いました。

 また、出身中学校で職業講話をして、夢をもつことや中学校の楽しみ方などを話したりしています。

 同じ中学校出身の先輩ということもあったかと思いますが、中学生は非常に熱心に私の話を聞いてくれました。

 私自身、中学校で勉強をしていたというよりは、部活動を通じて、人と人とのつながりやチームビルディングなどを学んだと思っていましたし、そのすべての経験が今の自分の弁護士としての仕事を作っていると思っていますので、中学生には、「いま経験していることすべてが無駄にならない、そんな職業が弁護士です」と語りました。

 いま勉強がうまくいっていなかったり、あるいは人間関係で落ち込んでいる人にも、そういった経験が後で役に立つ仕事がある、ということを話せたので、私自身も本当にいい経験をさせていただいています。

 地元とのつながりができたことで、改めて、「依頼者に寄り添う」という思いがより強くなったと思います。

 現在は、故郷である海老名に事務所を構え、弁護士としてたくさんのキャリアを積ませていただくことができました。

 私自身、順風満帆に弁護士として進んできたわけではありません。
 紆余曲折があり、つらい思いや、挫折も経験してきました。
 であるからこそ、依頼者の方々の思いに寄り添い、問題解決へ共に取り組んでいけると自負しています。

 私と同じように、声なき声を上げることができない方。
 誰にも相談できず、行く道がわからない方。
 親しい友人が近くにいても、家庭内のいざこざを他人に話すことができない方。
 自らの将来が完全に閉ざされ、目の前が暗闇に覆われてしまったと感じている方。

 私にご相談ください。
 これまでの経験を活かし、皆さまの多くの悩みを受け止められるよう、全力で取り組んでまいります。